長岡高校応援歌物語・第七章『団歌』

一、古き歴史の 跡問へば
兜城下の 鬨の声
ナイン白衣(びゃくい)の 肉躍り
久遠の光は 皎々と
北に撫剣の 益良男が
門出の曲ぞ 胸に沁む

二、柏の旗の 行くところ
桂冠こゝに 五十年
友よ鉾とれ 戦はん
覇権を譲る 事勿れ
我等一千 こゝに有り
覇権を譲る 事勿れ

ご存知、我が校の『団歌』である。生徒手帳の応援歌の一番最初に掲載されており、そのため「応援団歌」であると、最近までつゆ疑っていなかった。しかし、歌詞の中に「ナイン白衣」とあるため、この歌は「野球団歌」であるということが判る。

この歌の元歌は旧制第一高等学校の『柔道部歌』であるといわれている。「である」と断定できないもどかしさがあるが、「状況証拠」の積み上げから導かれた結論である。
以下にここに至るまでの道のりを述べてみよう。

東京大学の前身である旧制第一高等学校、当然その校章は「いちょう」と思いきや、実は長高と同じ「三つ葉柏」であり、その校旗の色も「紅」である。必然、その応援歌の歌詞も「柏の旗」を称える内容になるわけである。既に述べてきたように我が応援歌は旧制第一高等学校から借用した歌が多かったわけであるが、実はこの『団歌』も同じく旧制第一高等学校から譲り受けた歌詞を使わせてもらっている。出典は明治43年に作られた『陸上運動部歌(柏の旗の)』である。


『陸上運動部歌(柏の旗の)』(旧制第一高等学校部歌)

作詞 吉植 庄亮 作曲 日疋 誠  (明治43年)

一、柏の旗の行くところ
桂冠ここに二十年
わが光栄と輝きて
遮るもののなかりしに
あな あだ人の鬨の声
友よ矛とれ戦はむ

四、秋風吹いて柏葉旗
易水寒きながめなり
友よ矛とれ戦はむ
覇権を譲る事なかれ
我等一千ここにあり
覇権を譲る事なかれ


ご覧のように、一番と四番をつなぎ合わせると、『団歌』の二番になる。(「桂冠ここに二十年」と「五十年」の違いはあるが・・・。)

ところが、この曲も前述の『第三応援歌』と同様、歌詞と旋律をそれぞれ別の曲から引用してきた厄介(?)な歌だったのである。旧制第一高等学校のホームページに寮歌のコーナーがあり、音源を聞くことができるが、この『柏の旗の』の旋律は『団歌』のそれと違っているのである。歌詞だけで確認していたら、おそらくこの曲が我が『団歌』の元歌であると結論付けていたと思う。まさしく「第四章」での経験が役立ったのであった。

では、この曲の旋律はどの曲から引用されたのか?また、暗礁に乗り上げてしまったと思ったら、幸いなことにそのヒントはインターネット上で公開されているある高校の応援団のOB会のホームページに隠されていたのである。

その高校の名前は岩手県立福岡高校。弊衣破帽のバンカラ応援団で知られる、東北の雄である。そこの応援団のOB会「三葉会」のホームページにある「福陵博物館」という応援歌の中にその歌はあった。


『福岡高校柔道部歌』

福陵の春 爛(たけなわ)に
照るや万朶の 花霞
夕月淡き 馬淵川
千古の神秘 囁けり
ああ 道場の畳をば
血潮に染めし 幾月ぞ


この歌のメロディーは、微妙な節回しは若干違っている所があるとしても紛れも無く『団歌』そのものであった。そして、この曲の解説に、「旧制第一高校の『柔道部歌』が元歌であるといわれている」とあった。今までの章を振り返ってみても、元歌といわれる曲はすべて歌詞が判明していたのであるが、この章では原曲と思われる歌の歌詞を載せることが出来ないのは残念である。今後の調査を待ちたい。

その他にもこの旋律を採用している応援歌を持つ高校がある。
黒沢尻北高(岩手)、仙台二高(宮城)、新潟高(新潟)、盛岡一高(岩手)


『黒沢尻北高 凱歌(日には敵なし)』

日には敵なし 王の王
碧空高く たなびくは
これ旭日の 旗章(はたじるし)
胸に溢るる 喜びを
抑えて歌う この宴
あぐる凱歌の 面白し


『仙台第二高校 対一高戦歌』

古き都の春秋(はるあき)や
過ぎにし夢は 何かせん
浮華文弱(ふかぶんじゃく)の風忘れ
嗚呼影寒し 五城楼
巍然(ぎぜん)立ちたる 北陵の
健児の意気を 今ぞ知れ


『新潟高 応援歌D』

今残星の 影ゆれて
暁鴉(ぎょうあ)の声に ほのぼのと
北陵城下の 朝ぼらけ
固き守りの 戸を破る
紅顔可憐の 若人が
胸の血潮は 燃ゆるなり


『盛岡第一高 第三応援歌(血潮の旗の)』

血潮の旗の 征くところ
桂冠ここに 百星霜
我が光栄と輝きて
遮るものの なかりしに
あな 仇人(あだひと)の鬨の声
友よ鉾とれ 戦わん ・・・・・・(*)


なんと、盛岡一高の『第三応援歌』も『団歌』と同じ歌詞と同じメロディーを持つ兄弟曲のような関係であった。しかも前出の『陸上運動部歌(柏の旗の)』の一番をそっくり採用している。ちなみに、「桂冠ここに百星霜」の箇所は、以前は「七十年」と歌っていたそうであるが、年月の積み重ねで「八十年」、「九十年」となり、ついには「百星霜」に落ち着いたという話である。

また、最後の一節(*)の部分は我が長高の『第二応援歌』の最後「打てや破れや敵塁を」と同じ旋律である。たまたまの偶然かそれとも意図されたものかは不明であるが、興味深い事実である。

文: 長高 健児 (ながたか けんじ)、 第七章画像: NOION より
企画・制作: 長岡高校S50年卒「50☆50の会 印刷・HP分科会」
(2006.3.30掲載)

◆長岡高校応援歌物語・第七章『団歌』<補記>

一、古き歴史の 跡問へば
兜城下の 鬨の声
ナイン白衣(びゃくい)の 肉躍り
久遠の光は 皎々と
北に撫剣の 益良男が
門出の曲ぞ 胸に沁む
二、柏の旗の 行くところ
桂冠こゝに 五十年
友よ鉾とれ 戦はん
覇権を譲る 事勿れ
我等一千 こゝに有り
覇権を譲る 事勿れ

この歌の元歌であるといわれている、旧制第一高等学校の『柔道部歌』の歌詞が判明した。以下のような内容である。


『柔道部部歌(時乾坤の)』(旧制第一高等学校部歌)

作詞:小林 俊三 作曲:新居 一郎 (明治43年)

一、時乾坤のうつろひに 向が岡の春爛けて
花のみ薫る来し方の 二十の關を見かへれば
一すじ冴えて行く水に 生けるひゞきぞたぎり行く

二、春千山の花ふゞき 秋落葉の雨の音
濁世(じょくせ)の 影を遠くして 柔(じゅう)の教ひそみ行く
聞かずやこゝに 搏撃の 音鼕々とたえざるを

三、古き歴史の跡問へば 青葉城下の鬨の声
壮士白衣の肌寒く 易水の風蕭々と
北に撫剣の丈夫が 首途の曲ぞ胸にしむ


やはり、我が『団歌』は旧制第一高等学校『柔道部歌』から取られたことが歌詞からも一目瞭然である。『団歌』の一番は『柔道部歌(時乾坤の)』の三番からの流用、二番は先述した通り、『陸上運動部歌(柏の旗の』より引用したものである。

ようやく判明した事実に、胸のつかえが降りたような気持である。

文: 長高 健児 (ながたか けんじ)
(2006.7.28掲載)

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