長岡高校応援歌物語・第六章『応援歌(其の五)』

類ひなき 古き歴史
栄えある その血涙史
我等が先人 残せし覇業
長高(中) 長高(中)名にこそ生きよ
血に燃ゆる我等 今こそ立ちなば
制覇の行く手に 輝く光
正しく雄雄しく力に生きん

この歌に関しての情報を広く募集しております。

我々が一年生だった年の「和同会総会」で「制服」が廃止され、その三年後、我々の次の代で「応援団」自体も廃止され、ついに応援練習が無くなったと記憶している。
(その後昭和52年と54年に甲子園に出場した際、一時的に応援団が復活したそうである。)

今でも一年生の時の「応援練習」にある種の懐かしさを覚える。入学してすぐの「対面式」で先輩から受ける十秒以上にもわたる長い「礼」に度肝を抜かれ、その後、この「応援練習」でまた心胆寒からしめることになるのである。

4月から5月にかけての1ケ月ほど、毎日放課後になると一年生全員がバックネット裏や体育館下の雨天練習場に集められ、上級生の応援団員に応援歌指導をされる。生徒手帳の後の方にある「応援歌」の歌詞を見ながら、応援団長のダミ声に続いて歌うわけであるが、楽譜もなければ音源もない、それこそ「口伝え」に歌うのである。

当時はまだ制服が「自由化」されておらず、男子は学生服、女子はブレザー姿で整然と二列縦隊に並んで歌ったものである。少しでも手を抜くと、「声が小さぁ〜い!」と怒鳴られてやり直しをさせられ、服装のチェックも厳しく、ボタンがとれていたり、ホックがはずれていたりするとみんなの前で一人で歌わされたりするから、一年生達は必死に練習に臨んだ。


ある時の練習でのこと、当時剣道部に入部したばかりの木村君が、「間近に迫った大会の練習のために途中で抜けさせて欲しい」と応援団長に直訴し、「ちゃんと歌えるならば抜けてよし」と言われ、みんなの前で『第五応援歌』を手帳を見ずに遂に歌いきり、見事応援練習を抜け出したのである。

木村君のその意気やよし。彼は後年、剣道部主将として活躍し、今は千葉県の県立高校の教師となって生徒に剣道を教えている。木村、一緒に同窓会で『第五応援歌』を歌おう。

数ある応援歌の中でも、この『第五応援歌』が好きだった中山君はいつもこの歌を口ずさんでいた。

「たぁだぁしくぅう、ぅおぅおぅおしぃく、ちいかあらあに、いぃ〜いぃ〜きいん〜」

この歌を歌うと、いつも顔を紅潮させて一生懸命歌っていた彼を思い出す。中山、君も一緒に『第五応援歌』を歌おう。

東京同窓会には同期のみんなも是非顔を見せてくれ。一緒に『第五応援歌』を歌おう!!

文: 長高 健児 (ながたか けんじ)
企画・制作: 長岡高校S50年卒「50☆50の会 印刷・HP分科会」
(2006.3.28掲載)

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