長岡高校応援歌物語・第九章『閉戦歌』

一、紫紺の連山 日に映えて
蒼茫平原 暮れ行けば・・・・・・・・・(A)
此の日振ひし 我が友の
心の中(うち)ぞ しのばるる・・・・・(B)

二、満天星の数見せて
朧月(ろうげつ)今宵 輝けば・・・・(A)
新に希望湧き出でん
友よまた来む 戦まで・・・・・・・・(B)
新に希望湧き出でん
友よまた来む 戦まで

試合に勝った時に歌う「凱歌」「凱旋歌」があるように、負けた時に歌う歌もある。
普通、それは「敗歌」とか「敗戦歌」あるいは「哀歌」というところもあるようである。
ところが、我が長高はそれを称して「閉戦歌」と呼ぶ。「試合に敗れたのではない、戦いの場を一旦閉じるのである」と、敗者である友の心の痛みを察し、いたわる気持ちで、暮れ行く長陵の山々と蒼茫たる長岡平野を背景に切々と歌うのである。

応援歌というと勇ましく選手を励まし、鼓舞する歌というのが一般的であったが、こういう応援歌もあるのかと、暮れるにはまだ早い悠久山球場のスタンドで歌った覚えがある。「『凱旋歌』はあまり歌った記憶がないが、『閉戦歌』はよく歌ったよ。」という話も聞いたことがある。負けた時にこそ心に沁みる歌なのかもしれない。

曲は違うが、全国の高校にも「敗歌」「敗戦歌」がある。一部紹介しよう。


『那覇高校 敗歌(捲土重来の歌)』

三度の計の 空しさに
多感の健児 星に泣く
今勝たずんば いつの日か
我に覇権を もどすべき


『盛岡一高 第五応援歌(敗戦歌)』

むせぶ悲憤の 誓いより
幾多の星は うつろいて
我が学舎の 先陣が
立てし功は いや栄ゆ


『福岡高校(岩手) 哀歌』

鉄路万里をヨー
ララ踏み破りヨー
敵の権威をヨー
挫きみせよとヨー
ベスト尽くしてヨー
戦いしたがヨー
武運拙くヨー
恨みの胸がヨー
友よ健児らヨー
嘆きをやめてヨー
陣馬山下にヨー
腕を鍛えんヤー


さて、本題に戻そう。この歌は旧制第一高等学校の『筑紫の富士にくれかかる』という寮歌から採られている。

『筑紫の富士にくれかかる(旧制第一高等学校「第二十二回記念祭九大寄贈歌」)』

作詞 不詳 作曲 石川勝治  (明治45年)

一、筑紫の富士に くれかかる
夕の色の 袖ヶ浦
渚に立ちて おもふとき
都の春を 忍ぶ哉

六、星は移りて 二十二の
榮の数の ことほぎに
弥生が岡を 忍びつつ
杯あぐる 紀念祭


「筑紫富士」とは福岡県糸島郡志摩町にある可也山のことである。糸島半島西部にある標高365m、美しい山裾を持ち、別名「糸島富士」とも呼ばれる。古くは「草枕旅を苦しみ恋ひおれば 可也の山辺にさを鹿鳴くも」と万葉歌にも詠まれている。

筑紫富士を仰ぎ見て、遠く母校のある向陵の丘に想いを馳せ、懐かしむ詩情豊かな曲である。1970年代に『琵琶湖周航の歌』を出してヒットさせた加藤登紀子による「日本寮歌集」という企画物のLP(アルバム)の中にこの『筑紫の富士にくれかかる』が入っているので興味があれば試聴されたらいかがかと思う。

さて、この曲に関しても興味深い事実がある。新潟高校の応援歌の中に、我が『閉戦歌』と同じメロディー(曲廻し)を持つ歌があるのである。『応援歌F』という。以下に紹介しよう。


『新潟高校 応援歌F』

空行く雁の羽音にも
脾肉の嘆きかこちきぬ・・・・(B)

飛べよ若人時至る
越路の風を翼に切り・・・・・(A)

光は消えぬ闇落ちぬ
輝きそめし灯に・・・・・・・(B)

ああ凱旋のかちどきに
酌む甘酒は敵の血・・・・・・(A)


この『応援歌F』は『閉戦歌』と似ているがどこか違う。メロディーは間違いなく『閉戦歌』のそれであるが、何か違和感を感じるのである。よくよく聞き比べたら、なんと新潟高校の『応援歌F』は節の順序が逆になっているのである。すなわち、『閉戦歌』の最初の四小節を(A)、後の四小節を(B)とした場合、『応援歌F』は(B)→(A)の順に歌われているのである。判り易くいえば「このひーふるいーしわがとーものー、こころーのうちーぞーしのばーるるー、しーこんのれーんざんひーにはーえーてー、そーぼーへいーげんーくれーゆーけばー」と歌っているのである。

オリジナルの『筑紫の富士にくれかかる』は(A)→(B)の順で歌われているから、これはどういうことなのか?同じ旋律を歌うのを潔しとしない反骨精神からか、あるいは歌っているうちに自然と入れ替わってしまったのか・・・・。しかし、ここでは問うことはしない。

昭和55年の夏の甲子園野球大会に出場した、前述の岩手県立福岡高校。大会本部から「出場校の入れ替えの都合があるので、負けたら(『哀歌』を)歌わないですぐに帰るように」と要請されたそうであるが、最後まで歌って帰ったそうである。

応援で熱く燃え上がった心をクールダウンさせるためには必要な儀式なのである。
大会事務局の人にお願いする。もし、我が校が『閉戦歌』を歌うような事態に陥った場合、武士の情けである。最後まで『閉戦歌』を歌わせてやって欲しい。

文: 長高 健児 (ながたか けんじ)
企画・制作: 長岡高校S50年卒「50☆50の会 印刷・HP分科会」
(2006.4.5掲載)

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